如月レポート  〜決定的な違い〜


このたび、ちと不思議に思ったことがある。それは富士見書房や、メディアワークス(電撃文庫)、角川スニーカー文庫などは、角川文庫や新潮文庫等といったものとは、とある部分に違いがあるのである。もはや、其の違いは伝統といっても良いかもしれないって位の違いである。では其の違いとは何か?それをこれから書いていこう。

「そもそもが、本を書いているのだから違いがあって当然だろう。」と思われるかもしれないが、違う。内容などの構成ではない。風習のようになっていることが前の三つの出版社に似通っていることがあるのである。それは何か?あとがきである。見てみるに、この後書き前の三つの出版社では殆ど全てにおいて
お世話になった人読者に、お礼などがかいているのである。それに比べて後の出版社の後書きには後書きとしても面白いようなことがかいてあったり、本文ヨリも面白いことがかいてあったりする。これは何故、このような違いが出てきたのだろう?

タブン、富士見などはデビューが、読者選考だったり何とか大賞を取ったりだとかで実際にお世話になって出てきたものが多いからであろう。すると必然的にお礼を言える場所が、後書きといういわば世間話をするためのような場所でするのであろう。(HPは?とかきかれると辛いが、しかし、物書きのHPはつまらなくなってしまうのではなかろうか?こんな御礼ばっか載せてても人は来ないだろうし、あまり小説などを載せると自分の首を絞めるし…)
で、それに比べて後者は、どちらかといえば読者というよりも、出版社から仕事が舞い込んできたりと、実際にあって御礼を言える人たちが多いからそのようなことに紙面を割く必要がないのだろう。

このように、前者と後者の後書きには大きな差があるのである!!


しかし、前者のほうが後書きがへたくそだと思うのは何故だろう?
書下ろしを読む回数が、多いからか?
それともまじでネタがないのか?
前者の出版社だから?
少なすぎるのはどうかと思う。
しかし、後書きが面白い作家さんもいる。『佐藤ケイ』は、前者の中でとても面白い後書きを書く。それに比べて…つまらない人はたくさんいるのであげられない。後者では、原田宗典とか、椎名誠とかが面白い後書きを書く。翻訳物の後書きは、訳者が、原作者の書いた本などを上げていて面白いものが多々ある。ただし、シャーロック・ホームズみたいな連載物はそのほかのものもほしくなってしまう。(私事だが、ジェイムズ・H・シュミッツの「惑星カレスの魔女」を読んで、そのまま後書きも読んで、そのほかの本も読みたいなと思ってインターネットで調べたら、絶版だったということもあり、とても悲しかった。←絶版になった本は古本屋図書館を中心に探しましょう。ちなみに悪鬼の種族は図書館にありました。)

と、まあ後書きのことを書きましたが、これも単行本ということに限ってのこと。インターネット上ではインターネット上の後書きの独特さがあります。皆さんも是非そういった違いを探してみてはいかがでしょうか?



ここに書かれているものは、管理人如月のしょーもないたわごとです。ああ、こんな見方をする奴もいるのだな程度で受け止めてあげてください。




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